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AKIRAの『JJ黙示録』

SMASH6.9後楽園大会で、飯塚高史とシングルマッチを行うAKIRAが、かつて"JJジャックス"として共に闘った飯塚に対して因縁を語った。

AKIRAのコメント
「なんでアイツがハゲ頭で鉄の手袋をつけて、そういうことをやりだしたのか。
よく真面目な男がなんで、とか言われますけど、アイツは真面目でもなんでもないんですよ。どっちかというと、チャラい勝手な男だった。デビュー当時のパンフレットに"運動神経抜群で、バスケットボールとサーフィンをこなす"って書いてあるんですけど、サーフィンといったら当時のチャラい男の代名詞。アイツがサーフィンやってる姿なんか、誰も見たことがない。
(飯塚は)そのときに政権を握っているブッカーにうまく取りついて、会社やマスコミから真面目な飯塚くんと言われるようになっただけ。使い走りをやっているにも関わらず、プロレスラーとしては日の目を見ることはなかった。
そのいらだちから、元の自分の姿を見せてやれとヤケクソになった」

AKIRAのコメント
「1990年台前半、アメリカマット界ではタッグチームが全盛期を迎えていた。それで新日本の営業部から日本でもタッグチームを作ってみようとなった。
テリーとドリーがリングインするときに、ボンボンを持ったチアガールがいたりして、あんなのを新日のマットでもやってみたいとなりましてね、白羽の矢が立ったのが僕らだった。
1週間やるから名前を考えてこいと言われ、僕は用意したんですけど飯塚は何も思い浮かばない。
それで、『いまCCガールズが流行だろう。じゃあJJジャックスでどうだ』ということで、JJジャックスになった。
ヒラヒラのコスチュームも、当時は誰もやっていなかった。WWEでアルティメット・ウォリアー、日本では井上京子さんがやっていたくらいかな。飯塚のヤローは、たしかストライプのシンプルなやつでした。
後楽園のお披露目で、ヒラヒラがことのほか好評だったんですよ。控室に戻って、『なんで飯塚はやらないんだよ』って言われて、1週間後にヤツも真似するようになった。
アイツは俺の言い分を聞かない。俺の提案は全否定なんです。(その理由は)アイツのエリート意識。
デビューして2、3年の間に長州さんとタッグを組んでタイトルを取っている。サンボを身につけ、旧ソビエトに遠征にも行っている。スター選手として破格の扱いを受けていた。だから、俺の言うことに対して、すべてNOだった。
俺にとって、JJジャックスは困難に向かっていったナイストライだったんですけど、そんなタッグがうまくいくわけがない。全否定でディスカッションの場がないんだから。心に残った試合も、1個か2個だ。
結局、失敗の責任は俺のせいにされて、俺はのちのち新日本を追いやられて団体を渡り歩くようになった。一方、飯塚は新日本に飼いならされたプロレスラーになった」